ハイデガーの存在論について

木田元ハイデガー存在と時間』の構築』から引用とメモ

p40-44
・存在(sein)は作用であり、存在者(Seiendes)を存在者たらしめるものである。
・存在作用の場になっているのが現存在(Dasein)であり、現存在が存在を了解するときにのみ、存在はある(Es gibt)。
・現存在が存在を行うための働きが存在了解であり、存在企投(Entwurf)と言い換えられる。存在とは現存在に企投される何かである。
・現存在が存在を企投する仕方は一通りではなく、存在了解は現存在自身の存在様相にともなって発達したり崩壊したりする。そのため、存在の意味を問うには、本来的なあり方をしている現存在を考える必要がある。
・現存在が本来的なあり方であるかどうかの線引きを、現存在がその存在構造を十分に満たしているかどうかで行う。したがって、現存在の存在構造が確定されなければならない。
・つまり、本来的なあり方をしている現存在の存在了解によって与えられる存在を問うことで、存在の真の意味を捉えることができる。したがって、最終的な目標である「存在一般の意味の究明」にとりかかるためには、準備段階として「現存在の存在構造の確定」が必要になる。『存在と時間』の既刊部は、この準備作業に当てられている。

p44-54
・現存在の基本構造は世界内存在(In-der-Welt-sein)である。現存在には本質上、なんらかの世界のうちに存在するということが属している。
・世界内存在という概念は唐突に提示されるが、この間接的な起源としてユクスキュル(1864-1944)の環境世界(あるいは環世界、Umwelt)の理論がある。生物は自らの生きる固有の環境世界に適応しているものとして捉えられるべきだという主張である。この主張を参考にして、フッサールの弟子であるシェーラー(1874-1928)は世界開在性という概念を示す。シェーラーは「人間は他の生物と異なり、自らの生物学的な環境からある程度脱して、世界というより広大な場面に開かれて生きている」という特殊性を見出している。
・ただし、ハイデガーは世界内存在という概念を生物学的な地平から規定したわけではなく、環境世界における環境内存在とでも言える概念の基底に据えるものとしての哲学的な概念となるように規定している。

p54-64
・世界内存在という存在構造を形成しているところの世界という概念は、動物とその環境世界のアナロジーで考えることができ、現存在の存在そのものに属している構造である。
・現存在が自分自身の可能性(存在可能)を気にかけるのが気がかりであり、この気がかりから発出する道具的連関の総体を成り立たせている構造が有意味性である。
・世界とは、現存在の自己自身の可能性への気づかいから発出し、そこに収斂していく意味の網目である。しかしハイデガー有意味性に還元されるだけのものとしては世界を規定しない。あくまで有意味性は世界分析の手がかりにすぎない。
有意味性とは逆に、「無に対して感じる不安」という無意味性としての世界も規定される。不安のうちでこそ世界が世界として根源的かつ直接的に開示されるとする。
・現存在はその本質において世界形成的である。世界はけっして存在するものではなく、世界として生起するだけである。
・つまり、現存在が自らの可能性への関わり方を変えることによって、世界のあり方も変わりうる。その本質的な構造は、現存在が他の世界内部的存在者へと逃避せずに自らの本来的な可能性への気づかいを行うときに現れるものである。

p65-68
・世界を能動的に形成する働きを企投、世界に投げ込まれ取り囲まれているあり方を被投性と呼ぶ。内存在は、企投と被投性が絡み合ったあり方である。
・内存在の全体構造は関心(Sorge)という概念で捉えられる。
・存在者(現存在)からその存在者の存在へと視線をさかのぼらせることを、ハイデガーは自身の定義による「現象学的還元」と呼んでいる。九鬼周造によれば、現象学的還元の第一段階が現存在からその関心構造への遡行、第二段階が関心構造からその意味としての時間性への遡行である。
・関心を手がかりにして平均的日常性を生きている現存在のあり方を探るだけでは、根源性の要件としての全体性や本来性を欠いてしまっている。
・現存在が自分自身の死との関わりのうちで現存在を捉えれば、現存在にその全体性と本来性を与えることができる。「自らに先立ってある」という現存在の(部分的な)存在構造を、本来的な全体存在可能(死へ先駆けて覚悟している様態)への関わりにおいて捉えるなら、現存在は全体性と本来性において捉えられることになるはずである。
ハイデガーはこの構図を「良心」の現象に即して確かめようとする。

p69-76
・先駆的覚悟性、ひいては関心構造を成り立たせているのは時間性(Zeitlichkeit)である。
・時間性は存在者のように存在するのではなく、自らを時間として生起させる働きとしてあるものである。
・時間性を経験することが根源的時間と呼ばる。根源的時間はその第一の特性として脱自的性格、つまり自己閉鎖的ではなく開放的な性格を持つということが挙げられる。第二の特性は将来の優位、第三の特性は有限性である。
・本来的時間性 先駆―反復―瞬間 自己性
非本来的時間性 期待―忘却―現前 日常性
・あと「配慮される時間」「世界時間」「通俗的時間概念」など。ちょっとよくわからなかった。

追記(2015-05-16):
 西洋倫理思想史概説の後期レポートのためのメモ。レポートは、タイトルを「『存在と時間』の難点と自然主義的解釈」として(読み通してすらいないのに!)、自然主義的な解釈からハイデガーの言う存在概念の困難について指摘するようなことをした。評価が良かったので嬉しかったです。